昭和41年05月26日 夜の御理解



 今日は期せずして、熊本の方達があっちこっちからお参りしてきておった。富永先生は昨日から来ちゃった。それからあの、ヒロコさん達のグループですが一連れ。それから清川さん達、(?竹内)さん達が一連れ。それに、飯塚の方から安東さんが、もと山口さんと言った方、参っておりました、丁度一緒に。お昼でも頂かせてもろうてから、その話の時でした。今あの熊本のタカセさんが学院に入っておりますから、あちらにお参りしてもお話しを頂く人がいない。
 それで、この一週間になるが、まぁよっておるそうですけれども、中心がありませんもんですから、ひろこさんのお母さんが、今日はちょっと椛目の親先生に、いよいよ信心の根本になるもの、土台になるもの、そこん所をようとあなた方、御理解頂いてきてくれってその、言われておりますから、と言うわけなんですね。
なかなかそう言われると、なかなかその一口には言えんですね。しかし、まあ本当にそれは良い、有り難い質問だと思いますね。成程この方の道は、祈念祈祷で助かるのではない。話を聞いて助かる道とこう仰るんですけれども、今日私が頂きますのは、一番信心の土台になるのは、御祈念と仰る。私は成程そう思うてですね、そこで私は、うんなら集まった、ご神前ですと大祓い会を一つあの、御祈念会をしなさいってとこう。ね、お話の会じゃなくて御祈念会。ね、大祓いを、ね、3巻でも5巻でも、お互いの気持ちがピタッーと一つになるところまで、もう心行くまで御祈念なさい。でその後にお互いの信心の体験やら、また頂いておる話やらを頂かせてもらうようにしたら良いだろうと。もうそれが、根本になるのだからと言うて私、今日は、お話させて頂いたんですけれども。
してみるとですね、もうお互いが、あの御祈念を一生懸命できない時には、既にもう信心が抜けておる時です。もう御理解だけ間に合やよかてなんてんちゅうな事じゃつまらんちいう事です。もう一生懸命大祓いでも挙げさせてもらい、一生懸命、祝詞でも奏上させてもらい、一生懸命、御祈念さして頂くという事がですね、根本なのでございますから、例えば私共はご神前に出て、本当心ゆっくりと、ご神前に出ておかげでも頂きたいという時には、必ず信心がシャンとしておる時に間違いないです。
例えば一番、私の家内なんかはもう、成程忙しいですけれども、何か自分の心に、神様に向こうておる時、修行でもさして貰っとる時には、日に何回となしに出て来るですもんね、ご神前に。してじっと御祈念をしておる。もうそういう時に、私も有り難いなぁと思うんですけれどもです、第一御祈念にすら出てこない。言わば朝晩の御祈念にすらご無礼する。それで、あっちなんかは、ご理解だけは頂きよりますと言うたんではです、こりゃもうほんなこっじゃないと。もう信心が抜けておる。いわゆる言わば基礎になる土台になるところがもう狂っておる時だと思うてなるほど間違いないと思うんです。
ね、御神前に向かってもう一生懸命御祈念でもさせて頂きたい。そういうものが信心の基礎なんです。だから、そのことがです、なら祈念祈祷でとこう仰るから、そのだから祈念するということだけ。拝むという事だけが、信心の全部では勿論ありませんけれども、基本になるのはこれだということです。
ならまず本気で拝むことの喜びと、拝むことによって自分の心が平生心を保たせてもらう。喜びが頂けれる。生き生きした心が、シャンとしてくると。それでいて、いわゆる御理解を頂く。ね。それからその御理解が本当に身に付くという、おかげになって来るのじゃないでしょうか。御理解を頂いて、シャンとしようなんてこれはお粗末です。ね、まずシャンとしてこにゃいかん。それは何を持ってするかと言うと、御祈念を持って、先ず自分の心をシャンとしとかなきゃいけん。そして御理解。それは丁度言うならばです、美味しゅう、もんなら食べようと、いう様な事ではです、ただ御理解だけ頂いて、おかげ頂こうというなんてな事は、これは、丁度美味しいもん、おいしいならば食べようという様なのと同じ事です。ね、有り難うなかったら、自分の身にピタッと来なかったら居眠りどんしとる。もう食べよらんとです。ねえ。
所がです、自分の心が例えば、一生懸命御祈念でもして有り難い時には、一生懸命運動をして、お腹を空かせておるようなもんです。ね、ですからその御理解が、とにかくどういう御理解であっても、例えば美味しく有り難く頂けるところにです、私話を聞いて助かるという事になって来るのじゃ、という風に今日は感じましたんですね。
何というても信心の基礎になる、基本になるものは祈りです。御祈念です。ですから何と言うても、御神前に出てもう祈って祈って祈り貫かせて貰うと言う信心。ね、そういうのが椛目には非常にその、かけておるように思うのです。御理解があまり矢次早に頂いておりますから、御理解にだけ間に合やよか、といった様な頂き方。もう御理解さえ頂きゃといった様な、そんところでですね、もう御祈念に力を入れない。御祈念だけに力が入ってだけでもつまらんけれど、ね、御祈念それは丁度、運動してお腹を空かすようなもの。そこに美味しくても美味しくなくても、その御理解が美味しいものとして頂けれるおかげ。そこに話を聞いて本当にその話が血になり、肉になり、おかげになってくると私は思うですね。
   どうぞ。